火焔土器
長岡市立科学博物館所蔵 「昭和十一年十二月三十一日、
本年は珍しく無雪也。
止日曇天にして稍寒し、
篤三郎本年最後の暇乞を
馬高に告ぐ可く、
源助畑に於て、
実に珍物希有のものを出す。」
(説明後の近藤さんの日記より)
火焔土器(国指定文化財)
 昭和11年、馬高遺跡で近藤篤三郎によって発見され、その燃え上がる炎のような形から「火焔土器」と呼ばれました。その後多くの遺跡で見つかっている類似の土器は、火焔型土器と呼ばれています。

博物館の中にある火焔型土器
『とさかが歯車のようにまわり、すかしぼりのどう体がゆるやかな曲面をえがいてのびあがるところには原始のほのおの燃えさかる音が聞こえてくるようですね。だから、この土器はほのおが燃えあがっているようなものだということで、火焔土器と名づけられているのです。』

〈小中学生のための長岡のあゆみ より引用〉

火焔型土器(胴体の部分)
この火焔型土器は、馬高遺跡から発掘されたものです。
馬高遺跡は、新潟県長岡市関原町馬高という所にあります。
信濃川から国道8号線沿いに、西へ7キロ行ったところで、関原町の南の兵にあるところです。

火焔型土器(上の部分)
この「火焔型土器と馬高の人々の生活」は小森ケン子先生自作のビデオです。地域素材を教材化したビデオは、今長岡市教育委員会に教材ビデオとなって小中学校の先生方より活用されています。詳しく知りたい方は、「ぼく馬高縄文人になっちゃった」(小森ケン子著)をご覧ください。